島根県の東部;出雲地方のほとんどを流域とする斐伊川・神戸川は、古くは古事記や日本書紀、出雲国風土記などに記された出雲神話の舞台です。斐伊川に住んでいたとされるヤマタノオロチは、暴れ川・斐伊川そのものとも言われています。暴れるヤマタノオロチ・斐伊川を退治したのは、スサノオかもしれませんが、現代の治水対策で斐伊川を退治したのが、この「尾原ダム」をはじめとするダム計画と言えるでしょう。

江戸時代から明治時代にかけて島根は全国屈指の鉄生産地で、斐伊川の上流域では「たたら製鉄」のため、土砂を川に流し、重さの違いによる砂鉄を採取する「鉄穴流し」が盛んに行われていました。その結果、大量の土砂が河川に流されたため、斐伊川下流部は川底が周囲の平野より高くなる「天井川」になり、一旦洪水になると大きな被害が発生するようになっていました。


江戸時代から明治時代にかけて島根は全国屈指の鉄生産地で、斐伊川の上流域では「たたら製鉄」のため、土砂を川に流し、重さの違いによる砂鉄を採取する「鉄穴流し」が盛んに行われていました。その結果、大量の土砂が河川に流されたため、斐伊川下流部は川底が周囲の平野より高くなる「天井川」になり、一旦洪水になると大きな被害が発生するようになっていました。
